誰かがやらないといけないと、
わかっているのにやらない人がいる。
できない理由があるわけでもなく、
気づいていないふりをして、
そのまま通り過ぎていく。
水を変えることも、
場の空気を整えることも、
ほんの少し手を伸ばせばできることなのに。
その「やらなさ」は、
声高に主張されることはないけれど、
確実に周囲に影を落とす。
以前、こんなことが書かれている本を読んだ。
嘘をついている人が近くにいると、
空間にノイズが入ったように感じる、という話。
ラジオの周波数が合っていないときの、
あの微妙なざらつき。
言葉は届いているのに、
どこか不快で、集中できない感じ。
あれは比喩ではなく、
案外、感覚として本当に起きていることなのかもしれない。
人によって言うことを変える人。
その場しのぎで話を作る人。
誰かがやるべきことを、
「気づかないふり」でやり過ごす人。
そういう人がいる空間では、
理由のわからない疲れが溜まる。
私は、そのノイズに敏感なだけなのだと思う。
だから、水を変える。
だから、違和感を無視しない。
その本は、
「正しい人でいなさい」とは言わない。
ただ、感覚が鈍っていないなら、
そのざらつきは大切にしていい、と教えてくれる。
おすすめなので、
もしどこかで見かけたら、読んでみてほしい。
自分が神経質なのか、
それともちゃんと感じ取れているだけなのか。
その違いが、少しだけわかるようになるから。
